たばこを買うか漫画を買うか

結局、我が事になる時にハラオチする。

説明は相手の状況をより具体的に想定できたら半分成功。

以前、某IT企業からの依頼で膨大な資料を作った。

IoTとかAIとか、そんな単語をたくさん使う資料だった。

当時はとても理解しているつもりになっていた。

実際、たくさん勉強した。

 

ただ、いまとなっては表層だけだったと思う。

 

 

Aであることが起きたら、

遠隔地のBに通知がいくようにしたい。

仕事ではなく個人的な用途・目的で。

 

これを自作しようと調べだしたら、なかなか難しい。

難しいけど、ひとつひとつ理解していくので、

実にすんなり頭に入ってくる。

 

表層的な概念や世界観は、

詳細に点と点をつなげなくても、

線や面として捉えられれば話ができてしまうが、

作るとなると、

スタート地点からゴール地点までの全ての点を

ひとつひとつつないでいかなければならない。

 

こういうソフトウェアが必要だとか、

ここにはこのハードウェアが必要だとか。

 

 

そんなことをしていて改めて気付いたのは、

点がわかると似たようなサービスや商品の僅かな違いが

よくわかるようになるということ。

 

こっちでできることがあっちではできないとか、その逆とか、

細分化できるようになる。それが差別化ってこと。

 

でもその差別化がいままでわからなかった。

 

中から見てる専門家と外から見てる一般人の目線は全然違う。

 

ニッチな商品を特定の顧客に提供するだけならいいが、

広く知ってほしいと思うなら相当努力しないとそろわない。

 

一度、点を理解してしまった人が、線や面に視界を広げる努力。

線や面しか知らない人に、点の面白さを

線や面の視点から説明し、興味を惹くための努力。

 

商談でも広告でも告白でもいいけれど、

説明は相手の状況をより具体的に想定できたら半分成功。

 

そういうこと。

 

止める決断を恥じてはならない。

トメルと読んでもヤメルと読んでもいいけれど、

何かをしている時、何かをしようとしている時、

どのタイミングであっても、

止めることが頭をよぎることがある。

 

それは無視してはならない。

 

いままで真剣に取り組んできたからこそ、

それを止めるとどうなるかは自分が一番わかっている。

 

リリース間近の新商品かもしれないし、

損失が出るところまで進んだプロジェクトかもしれない。

事業や勤めている会社を辞めるという場合もあるだろう。

 

 

大切なのは、タイミングや損失ではない。

一番わかっている自分がアラートを発したということ。

 

重大な見落としに気付いてしまった。

契約成立のサイン直前に手が止まった。

体や心にわずかな異変・違和感がある。

 

 

見過ごしてはならない。

真剣に取り組んできたなら、自分を信じて止めていい。

 

感じたアラートを言葉にしたら、

多かれ少なかれ周りの人に迷惑がかかるだろう。

激しく非難されることもあるだろう。

 

迷惑を引き起こすことが容易に想像できるから、

言うべきか、黙って見過ごすべきかを悩む。

 

 

でも、見過ごしてはならない。

周囲が受ける迷惑はいずれどうにか解決するが、

自分の見過ごしはあとで自分が最も大きな傷を負う。

 

なぜ言わなかったのかと周囲から叱責されたり、

止めずに我慢して頑張ってしまったせいで、

体や心に取り返しのつかない痛手を負ったり…。

 

 

愛とか気合いとか根性とか、

そういったものが足りないから止めたいんじゃない。

そういったものを注いできたからこそ止めたいんだ。

 

大丈夫、止めてもどうにかなる。

止めない方が後々もっと大変なことになる。

いま止めなくてもいずれ止まる。

 

その決断は英断だ。

止める決断を恥じてはならない。

 

そういうこと。

 

ひとまずやってみるを選んだら最初から最高傑作を狙ってはならない。

ビジネスでも趣味でもいいけれど、

やったことのない分野に挑戦する時。

 

最初から最高傑作を狙うと上手くいかない。

 

やったことのない分野は、知らないことだらけ。

どれだけ進捗方法やリスクを想定しても、

想定できていない部分が山ほど隠れている。

 

だから最高傑作にはならずにほどほどになります、

という話ではない。

 

恐らくほどほどにもならない。

 

 

最初に完璧なものを作ろうと意気込むと、

既に取り組んでいる先人の良いところが目に入り易く、

そこに更にプラスアルファの自分らしさを足したりして、

壮大な完成予定図と計画ができあがる。

 

また厄介なのは、この完成予定図は、

外側というか見た目というかサービス内容というか、

目につき易い表側の部分ばかりが豪華になっている。

 

本当の中身を自分もまだ知らないんだから仕方ない。

 

こうして最高傑作完成までの道のりが、

名前やロゴを有名デザイナーに依頼したり、

10年使える全部入り万能機材の準備から始まったりすると、

いよいよ危ない。

そういったものは湯水のごとくお金が消えていく。

想定金額以上に消えていく。ホントに。実体験。苦笑

 

 

中身の骨組みを強固にしようとした時、

取り組みを世の中にアピールしようとした時、

外側なんかよりもっとお金がかかることに愕然とする。

 

結果、失速し、ほどほどの状態にも辿り着けない。

 

 

先日、個人的な目的で作ってみたいものができ、

中学の授業以来 触れてもいない電子工作に手を出した。

 

その準備で、危うくこの間違いを起こしそうになった。

 

目的のものにしか使えない完成版と、

後で作り変え可能な万能組み立て版を売っていて、

上手くいくか、長続きするかもわからないのに、

後者の万能版を買いそうになった。もちろん前者より高額。

 

すんでのところで気づいて、ひとまず前者を購入した。

だって「ひとまずやってみよう」を選んだんだから。

 

 

入念な事前調査をして、念には念を入れて計画できるなら、

最初から最高傑作も狙えるだろう。

そういう性格の人はそれで始めて進めれば良い。

 

でも「ひとまずやってみよう」という人は、

最初に思い付いた成果のみを実現できる最小限のものを

最短距離で、最低投資で、完成させることだ。

 

最高傑作は、小さな試作と失敗と成功を繰り返せば、いずれできる。 

ひとまずやってみるを選んだら、最初から最高傑作を狙ってはならない。

 

そういうこと。

 

「できなさそう」と「できない」を混同してはならない。

やってみたいと思っているのに着手できていないことがある場合、

何かしらのハードルがあるからそうなっている。

 

ただ、往々にしてこのハードルは、

勝手に想像して、勝手に作り上げたものだ。

そしてそれは、やらずに済ませている口実になっている。

 

「できなさそうだ」と思いを巡らせている内は、

何も進んでいないから、さっさと蹴りをつけた方がいい。

 

やってみるか、諦めて忘れるか、どちらかに。

 

 

ずっとシャツを作ってみたいと思っていた。

Tシャツではなく、襟とボタンの付いた長袖のシャツ。

 

でもやってみるまでに3年くらいかかった。

 

最初に思い付いた頃は、漠然とこんなことが課題だと思った。

 

型紙はどこで手にいれるんだろう。

ミシンを持っていないけど手縫いでもいけるんだろうか。

ミシン以外にはどんな道具が必要なんだろう。

そもそも素人が作れるものなのか。

道具と材料で費用はどのくらいだろう。…などなど。

 

すぐに調べたけど、意外に個人で作っていなかったり、

作っていても作り方の詳細までを公開している人はいなかったりで、

やっぱり難しいんだな、と勝手にハードルを作った。

やってみたいけどやれないのは、情報がないせいにした。

自分だけじゃなく世間一般にとっても難易度が高いことに安心した。

 

それからしばらくは、

やれなくても仕方ないものとして放っておいた。

 

3年くらい経った頃まとまった時間ができ、

シャツ作りの願望がむくむく蘇った。

 

今度は本気で調べた。

手始めに本を買い、自力では難しそうだとわかったので、

最終的にはカルチャースクールを探して通った。

 

作ってみたら工程も多く、確かに難しかった。

でも難しいポイントは、型紙を手に入れることではなかった。

勝手な想像は何の意味もなく、

もっと知識・技術・機材それぞれに足りないことがたくさんあった。

できないならできないで、

何が「できない」という結論に至る理由なのか、

はっきりさせるに十分なことはやった。

 

ボタンダウンのシャツが作れた。

 

 

カルチャースクールにあった機材が家には無い。

だからいまは物理的にシャツ作りは「できない」。

でも思い込みからの「できなさそう」ではない。

 

同じ作れない状態でも、前者と後者は全く違う。

できなさそう、は何もしていない。

できない、は結論に辿りついている。

スタートとゴールの違い。

 

できなさそうなことは、本当にできないのか、

きちんと向き合ったらできる可能性があるのか。

 

やってみるか、諦めて忘れるか、

さっさと蹴りをつけた方がいい。

 

そうしないと何も進まない。

スタート地点にぼーっと立っているだけ。

 

「できなさそう」と「できない」を混同してはならない。

 

そういうこと。

派手なクライマックスだけが見所であってはならない。

歳を重ねてきているからなのか、以前にも増して、

“何も起こらない” モノやコトに魅力を感じる。

 

大爆発が売りのアクション、殺人の凄惨さが売りのミステリー、

美男美女の大恋愛が売りのラブストーリーといった映画やドラマ。

食事なら、A5ランク和牛を看板にした肉料理屋。

ファッションなら、靴やカバンや時計だけがハイブランド

 

華やかさのアピールがかえって気分を冷めさせる。

 

 

では「平凡が一番だよね」という話かと言うと、違う。

 

実際、大爆発のエンディングがとても面白い映画もあるし、

ハイブランドを素敵に着こなしている人もたくさんいる。

 

冷める要因は、

そこだけをアピールポイントにしていること。

 

伏線が丁寧に張られた物語は、

エンディングの派手さが論点にはならない。

前菜から細やかな料理はメインのお肉がA5かどうかは気にならない。

 

そう、大事なのはプロセス。

 

結果が全てとも言うが、

「結果が全て」というフレーズが出るのは、

大抵、良くない結果、またはそうなりそうな時。

 

素晴らしいモノやコトを「結果が全て」とは評さない。

 

言うとしても、この結果に持っていった努力や過程も含め、

尊敬の念を込めて、もう少し違った言い方をするだろう。

 

 

仕事における企画の立案・提案でも同じことが言える。

 

出来栄えや見せ方に飛びつき、急いで辿り着こうとした時、

パターンの想定やリスクヘッジがなおざりで、

中身の薄い、説得力に欠ける代物ができあがる。

 

 

“何も起きない” 魅力を強く感じるモノ、3つ。

 

・ねたあとに / 長嶋有 著(小説)

ひよっこNHK 連続テレビ小説(テレビドラマ)

・東京ポッド許可局 / TBSラジオ(同じ3人のトーク番組)

 

どれも、何の話か?と聞かれると説明が難しい。

共通しているのはクライマックスがない。

 

でもつまらないのではなく、むしろ面白い。

クライマックスは高低差がないと生まれないが、

最初からずっと高低差なく “心地よく” 面白い。

 

高低差がないので、一見すると何も起こっていないように感じる。

でも実はずっと日常の機微という連続の出来事を見せられている。

(もしかしたら途中で終わっても大丈夫なんじゃないかな。笑)

 

もう1つは、どれも状況や思考の因果の共有が丁寧。

読者や視聴者が置いていかれないので、一員のように楽しめる。

 

 

プロセスを丁寧に扱うと、

一点特化なんて逆にもったいなくてできない良作ができあがる。

 

自分のしていることを派手にアピールしたくなった時、

それは、そこしかアピールできない代物になってしまっていないかを

改めて見直す時なのかもしれない。

 

派手なクライマックスだけが見所であってはならない。

 

そういうこと。

 

解決したいなら赤の他人への話しかけも躊躇してはならない。

7年ほど前、山手線に乗っていた。

 

視線の先にパンパンにモノがつまった大きなリュックを背負う、

アパレル系とおぼしき中年男性がいた。

 

見たことないデザインのリュックに一目惚れした。

 

これはなかなか出会えないレベル 。これぞ逸品。

...欲しい。

 

どこで売ってるんだろう。

せめてブランド名でもわかれば検索できるのに。

それとなく背後から近付いて、

チラチラとリュックのあちこちを見てみる。

ブランド名などは書いていない。

 

後でわかったことだが、このリュックは、

背中に接する面に大きくブランド名が書いてある。

そりゃ背負っていては見えない。笑

 

その男性が次の駅で降りるそぶりをみせた。

まずい!

 

聞きたいけど…。

突然なんなんだと嫌悪感を示されるだろうか。

急いでいると怒られるだろうか。

何だか恐そうな人にも見えてきた。

 

でも逸品と今生の別れを惜しんでる場合じゃない。

背に腹はかえられない。

決めた!聞くぞ!ガクブル

 

「そのリュック、どちらのブランドのものですか?

 あまりに素敵なので教えていただけませんか?」

 

おじさん、びっくりしてた。目がまんまるってこういうこと。

面倒くさいのか照れ隠しなのか、若干ぶっきらぼうに、

でもリュックを下ろして見せてくれた。

 

「シュペリオールレイバーのだよ」

 

 

帰ってモーレツに調べた。

「the superior labor back packer」

数日に渡って探したけど、どこのショップサイトにもSold Outの表示。

念のためお店に問い合わせたりもしたけど、やっぱりない。

 

決めた!シュペリオールレイバーに直電しよう!

 

なんと、いま(当時)は作っておらず、

このあとも作る予定がないとのこと…かなしい。

 

「でも もし作る時がきたら連絡しましょうか?」と言ってくれた。

 

 

2年待って、あこがれのバックを手に入れた。

時間はかかったけど、あの時おじさんに聞いたから実現したこと。

解決したいなら、赤の他人への話しかけも躊躇してはならない。

 

そういうこと。

 

答えにたどり着けない時は前提を見直さなくてはならない。

探し物が見つからない。

いつもは使わないけど、たまにめちゃくちゃ重要な類。

パスポートとか、そういう感じの物。

 

しまった可能性があるのは、あの棚か、あの引き出しか、あの箱の中。

我が家の大切なものは大抵そのどれかにしまう。

 

 

その3箇所を探すが…無い。

 

3箇所以外にしまっている可能性は極めて低いのに、

念のため3箇所以外の他の候補を探す…無い。

 

もう一度最初の3箇所を探す…無い。

もう一度他の場所を探す…無い。

 

ここで気づく。

いや、やっぱりあの3箇所以外考えられない。

改めて3箇所を丁寧に探そうと改心する。

 

入ってないと決めつけて見ていない封筒があることに気づく。

 

その封筒を開ける。発見。

 

 

そう、実はわかっているようで、わかっていないことだらけ。

 

わかっているふりをするとロクなことがないから、

わかっているふりはしないようにと思っていて、

よく理解しているつもりで、

よく知っているつもりで、

よく見直したつもりで。

 

…でも実は思い込み。

つまり知ったかぶり。

 

過去に山ほどの人が言っている。

答えが見つからないとき、しっくりこないとき、

自信をもって送り出せないときには、前提を見直せって。

 

 

入ってないと決めつけて開けていない封筒はないか。

答えにたどり着けない時は、前提を見直さなくてはならない。

 

そういうこと。